ホーム
 翻訳問題

翻訳語と翻訳問題

 「近代」と「社会」について
   柳父章 『翻訳語成立事情』 岩波書店1982年発行

  〔*資本論ワールド 編集部から:
   本文中の「近代」や「社会」の代わりに翻訳語の「鎖国」という語句を
   当てはめてみてください。そうすると、
   「鎖国」論者のイデオロギー装置の効能が見えてきます。〕

 まえがき
 本書で取り上げた初めの六つ、「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」は。幕末から明治にかけて、翻訳のために造られた新造語である。あるいは実質に新造語に等しいことばである。あとの四つ「自然」「権利」「自由」「彼」は、日本語としての歴史を持ち、日常語の中にも生きてきたことばで、同時に翻訳語として新しい意味を与えられたことばである。以上二つの場合で、翻訳語としての問題は多少異なる。とくに後者の、伝来の日本語を翻訳語として用いた場合には、異なる意味が混在し、しかも矛盾している、という問題が重要である。翻訳語に特有の効果によって、ことばの意味の分かりにくさや矛盾がかくされていて、人々に気づかれにくい、ということがもっとも重要であろうと思う。

 ■ 近 代  ― 地獄の「近代」、あこがれの「近代」
    〔目次:抄録・省略内訳〕  
 1 価値づけされたことば
 2 翻訳語分析の方法 (略)
 3 「近代」とは時代区分か (略)
 4 オモテの意味とウラの意味
 5 「近代」という翻訳語の歴史
 6 流行する翻訳語
 7 乱用から、意味の定着へ
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  近 代  ― 地獄の「近代」、あこがれの「近代」
  
  1 価値づけされたことば
 太平洋戦争中の1942(昭和17)年、当時の雑誌『文学界』9九-10月号に、「近代の超克」と題する有名な座談会の記録が載った。出席者は、河上徹太郎、林房雄、小林秀雄、下村寅太郎など、当時ジャーナリズムで活躍していた著名人である。
 そこに、「近代」についてのこういう意見がある。たとえば亀井勝一郎は、述べている。
僕の感じてゐる「近代」とは要するに自分がこの十数年に経験した混乱そのものであると申すより他にないのであります。明治以来、我々が実感した我々の近代といへば、これは地獄と云ってもいゝでせうか。
 これに対して、これとは正反対の立場から、中村光夫は、こう述べている。
僕なんか素人として「近代」といふものを考へて見ると、今まで西洋の「近代」といふものは兎に角日本人の目には何か非常に偉いやうに映った。……絶えず新しいものを求める、さういふ一種の精神の状態といふものが何か近代の正体ぢやないか。その意味で現代日本に始めて本当の近代が来たといふことも云へるんぢやないですか。
  「近代」とは「混乱そのもの」であり、「地獄と云つてもいゝ」という意見に対して、他方では、「何か非常に偉いやうに映っ」ている、と言う。
 一つのことばが、要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。ここに引用したのは今からもう四十年も前の話であるが、基本的な事情は、今日でもそれほど変わっていない、と思う。たとえば今日の私たちでも、「近代」とは「混乱」であり「地獄」であるという意見も、また「近代」とは「何か非常に偉い」という見方も、それぞれ、それなりに理解できるのではないだろうか。
 ことばがこうして、いいとか、悪いとか価値づけされて受けとめられている、ということは、ことばが、人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味で、ことばが人間を支配している、ということを示している、と考える。「近代」が「混乱」であり「地獄」であると思い込む者は、「近代」と名のつくものを、考えるよりも前に、まず憎むであろう。他方「非常に偉い」ように感じている者は、冷静に見てみるよりも、まずあこがれるであろう。
 人がことばを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしてはいない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
 このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることば、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分るように、これは私たちの国における翻訳語の基本的特徴なのである。
 翻訳語の成立の歴史について考えるとき、これを単にことばの問題として、辞書的な意味だけを追うというやり方を、私はとらない。ことばを、人間との係わりにおいて、文化的な事件の要素という側面から見ていきたいと思う。とりわけ、ことばが人間を動かしている、というような視点を重視したい。
 たとえば、「近代」はmodernなどの西欧語の翻訳語として、一世紀前頃から使われるようになったことばであるが、modernを中心に見れば、このことばは、「近世」とか、その他いろいろなことばに翻訳されている。しかし、とくに私か、「近世」その他ではなく、「近代」という翻訳語に注目し、ここでとりあげる理由は何か。それは、とくに「近代」が、「近代の超克」座談会の例からも分るように、人々を惑わせることばになりがちだからである。
 ことばが憎まれたり、あこがれられたりするような事情は、ことばの通常の意味、辞書的な意味からは、どうしても出てこない。それだけに、従来ことばについて専門的に考察する人々に、ほとんど無視されてきた。だが、見過ごされてきたにもかかわらず、ことばの問題としても、また学問・思想、広く文化の問題としても、とても重要なこと、と私は考えるのである。
 本書では、翻訳語の成立の事情を考察するとき、以上のような視点を重視している。つまり、ことばの、価値づけられた意味である。そしてこのことは、後に詳しく述べるように、ことばの乱用、流行現象、ことばの表面上の意味の矛盾、あるいは異常な多義性、というような面からとらえていくことができる。逆に見れば、「近代」などの翻訳語は、こうして乱用され、流行することによって、翻訳語として定着し、成立してきた、と言うことができると思う。
・・・中略・・・

 〔翻訳語の重要な特徴〕
 そうすると、どういうことになるか。Modern の翻訳語としての「近代」の意味は、辞書などによって真正面から考えていく限り、時代区分としての意味である。ところが、そのmodern の翻訳語「近代」は、成立以後、半世紀以上もの間、時代区分としての意味よりもほかの意味によって私たちの間に使われていた、ということになる。この、一見矛盾した現象のうちに、私たちの国における翻訳語の重要な特徴がある、と私は考えるのである。
 翻訳語「近代」は、modern などの西欧語の翻訳語である以上、その成立の頃から、「歴史の時代区分の一」らしい意味を持っていた。が、私の見るところ、それは、翻訳語「近代」のオモテ向きの意味にすぎなかった。つまり、翻訳語「近代」には、時代区分としての意味以外の、そしてもちろん伝来の漢語の意味とも異なる、いわばもう一つの、ウラの意味があった。
 たとえば、はじめに引用した意見のように、「地獄」であったり、「非常に偉いやう」であったりする「近代」がそうである。「歴史の時代区分の一」には、いいも悪いもないはずである。憎悪したり、あこがれたりする「近代」、価値を必然的に伴っているような「近代」、それが、翻訳語「近代」のウラの意味の現われ、というわけである。

  4 オモテの意味とウラの意味
家永三郎が戦後まもなく、1949年に出した『新日本史』(冨山房)によると、全体の記述は四つの時代に区分されている。すなわち、古代、中世、近世、最近世である。ところで、その第四編、最近世の第一章は、「近代日本の誕生」となっている。さらに同じ編の第五章は、「近代産業の躍進と社会状態の変化」という題である。ここでは、[近代]と「近世」とは、明らかに使い分けられている。歴史の正式の時代区分用語は「近世」であって、「近代」ではない。では「近代」とは何か。どうやら時代区分の意味も確かにあるようだが、それだけではなく、何か別の意味が含まれているようである。
 もう一例、やはり著名な歴史学者、上原専禄の『歴史学序説』(大明堂)の中で、1955年に書いたと後記のある文章中に、普通ヨーロッパ史を古代、中世、近世の三つの時代に分けて、たとえばヨーロッパ中世を研究しようとする。ヨーロッパ史だけではなく、東洋史、日本史の場合にも、古代、中世、近世というように時代を分けておいて、私は東洋の近代を研究しようとするのだ、私は日本の古代を研究しようとするのだ、などと専門領域を決める。
という記述がある。ここでも、時代区分の正式の用語は「近世」であるが、一方で、「近代」という語も使われている。同じ文章中で、「近世」はいつも正式な時代区分用語として用いられているが、「近代」の方は、「西欧近代」「近代文化」「近代科学」などの熟語の形で使われている。
 いったい、このような文脈における「近代」とは何か。歴史学者に問いただしても、おそらく確答は得られないであろう。どうやら時代区分としての意味はあるのだが、やや漠然としている。そして、産業・文化・科学などということばと結びついて使われることが多いらしい。
 このような「近代」が、前節で述べたオモテの意味とウラの意味とが共存している「近代」の、一つの現われなのである。オモテの意味は、もちろん時代区分としての意味である。そのウラの意味は、どうやら、西欧・文化・科学・産業などと関係の深い意味のようである。そしてこのオモテの意味の方は、歴史学者の専門の領域に属しているが、そのウラの意味の方は、歴史学者の守備範囲を越えているようである。
 このオモテとウラの意味の併存の正体を知るために、ここで翻訳語「近代」の成立の歴史を探ってみなければならない。

  5 「近代」という翻訳語の歴史
 「近代」ということばの歴史を探っていくと、前述のように、これと交錯して「近世」ということばが現われてくる。どちらも明治以後、西欧語の modern などの翻訳語として使われるようになったことばであった。しかし、その初め頃、おもに使われたのは「近世」の方であった。たとえば、幕末-明治初期の頃に英学徒の間でもっとも広く使われた『双解英和対訳袖珍辞書』(1862年)によると、modern の訳語として、「当時ノ。近頃ノ。近来ノ」とあって「近代」も「近世」もないが、やがてそれに次ぐ時代、もっとも普及していた『双解英和大字典』(島田豊編、1904(明治37)年)では、
  近時ノ、近世ノ、今時ノ、輓近ノ、新ラシキ、新奇ナル
とあって、「近代」はないが、「近世」が掲げられている。
 当時の歴史書を見ると、時代区分の用語を用いるときは、「近世」の方がふつうであったらしい。・・・中略・・・
 「近代」という翻訳語は、「近世」という時代区分用語がある程度定着して後、広く使われるようになったのである。「近世」の、この時代区分の正式用語としての寿命は、以後、前述の家永三郎や上原専禄の用例にもあるように、1950年代にまで及んでいる。
 ・・・中略・・・
 こうして「近代」は、1950年代以後、次第に「近世」に代わって、正式の時代区分用語の地位を占め、ほぼmodern age に対応する時代を指す翻訳語の地位を独占するようになった。それとともに、「近世」は、時代区分の正式の用語としての地位を失うか、または、中世の一部とか、中世と「近代」の間の時代区分用語として生き残る、ということになったのである。
 ところで、私がここで問題としているのは、1950年代以後、今日に至る「近代」の正式の意味、ではない。すでに述べたように、それは「近代」のオモテの意味である。およそあらゆることばの意味がそうであるように、ことばの意味は、少数専門家の定義による意味だけを持っているのではない。
 ここで問題の中心は、その「近代」の、いわばウラの意味である。それは、専門家の定義や、辞書的意味にとらえられていない、ということで仮にウラの意味とよぶのであるが、それは、こうしたオモテの意味よりも以前の意味である。翻訳語「近代」が、本質的に担っているような意味である。それは、ことばの意味と言うよりも、ことばの「効果」と言った方がよいのであるが、「近代」の登場した1890年頃から、オモテの意味を正式に獲得した1950年代の頃まで、このことばを支えていた意味、「効果」であり、かつ、それは1950年代以後、今日私たちの用いる翻訳語「近代」のうちにも生きつづけている、と私は考えるのである。

  6 流行する翻訳語
 1910(明治43)年の雑誌『文章世界』7月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
   近代人といふことを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のやうなものであるから、これが真に分つてゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸いだと思ふ。
 まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は、「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。・・・中略・・・

  要するに、「近代」人とは何か、とその意味内容を考えて、さまざまに述べたあげく、どれもその核心をつかんでいないと気づいて、半ば諦めて投げ出したようなところで、「近代的といふ特別な調子」がある、と結んでいるのである。
 これは、私の見る限り、かえって「近代」の正体に迫った意見であろうと思う。あらゆる流行語がそうであるように、この「近代」もまた、その流行の渦中にある人でなければ容易に理解しにくいような、ある特別な意味を持っている。それは、ふつう言う「意味」ではない。ここで言われているような「特別な調子」である。特別な語感、特別な、ある言語活動上の「効果」である。
 意味という点から言うならば、意味はむしろない、と言った方がよい。そして、意味はないからこそ、かえって人々を惹きつけ、乱用され、流行するのである。このことは簡単には分りにくいかも知れないが、後にまた詳しく述べよう。
 ・・・中略・・・
 おそらく、多くの人々が、当時この「近代」ということばを使いたがっていた。このことばから、その意味を考えるよりもまず、言い知れぬ深い意味を漠然と感じ、あるいはカッコいい魅力を感じていた。その人々は、この筆者のまわりによく見かけるような、知的な、文化的な雰囲気に近い人々、とりわけ若い人々であったろう。その時代の空気は、この「似而非(えせ)近代人」論からよく伝わってくるようである。

  7 乱用から、意味の定着へ
 「近代」ということばの歴史をふり返ってみると、何度か、異常なほど流行した時があることに気づく。その最初の流行は、前述の1910年前後、明治の終り頃で、とくに文芸の分野の人々にしきりに使われていた。文学史を見ると、この頃、あるいはそれにつづく一時期、「近代」という名を冠した論文などが多いことに気づく。
この最初の流行をきっかけとして、「近代」ということばは、一般の人々にもかなり普及するようになり、やがて、辞書にも modern の翻訳語の一つとして、すでにその座を占めていた「近世」と並んで記されるようになった、と考えられる。
 次に、この章の冒頭に引用した「近代の超克」座談会の頃の流行である。太平洋戦争中、1942年である。前の流行では、「近代」はプラスの価値を持っており、もっぱらあこがれる対象であったのに対して、この時期の「近代」は、「超克」されるべきもの、マイナスの価値である。前掲の中村光夫の発言には、時流に抗して、故意に反対の価値を強調する意図もあったであろう。
 さらに次の流行は、太平洋戦争の敗戦直後から始まっている。前の時代への反動として、この時代の[近代]は、プラスの価値をもつ一つのシンボルである。「近代文学」、「近代市民社会の通過」論、等の頃である。やがて、さらにその反動として、「近代主義」批判がくる。
 敗戦直後の「近代」ということばの意味がいかに空しかったか、ということは、逆に、驚くほど多義的であった、という日高六郎の次の指摘でもよく分る(『現代日本思想大系』第34巻『近代主義』筑摩書房、1964年)。すなわち、「近代文学」について、こう述べている。
   その思想傾向の多様であることに驚かされる。そこには、党員マルクス主義者からはじまり、非党員マルクス主義者、実存主義者、キリスト者、フロイド主義者、プラグマティスト、芸術至上主義者、古典主義者、前衛派、レアリスト、ロマンティスト、サンボリストなどが存在し、百花斉放的にぎやかさがあった。
 また、「近代主義」について、こう語っている。
   極端にいえば正統派マルクス・レーニン主義者以外のすべての思想傾向が、近代主義の名のもとに一括されたとさえ言ってよかった。(傍点は日高)
ことばの意味がこれほど多義的であるのは、もともとそのことばの意味というものが、ほとんどないからである。意味が乏しいから流行し、乱用され、そして流行し、乱用されるから多義的になるのである。
 この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ■ 社会について - society にあたる日本語はなかった

  ① society にあたる日本語はなかった
  「社会」ということばは、今日、学問・思想の書物はもちろん、新聞・雑誌など、日常私たち目にふれる活字で至るところで使われている。この「社会」ということばは、societyなどの西洋語の翻訳語である。およそ1世紀ほどの歴史をもっているわけである。しかし、かつてsocietyということばは、大変翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。

 ② やがて「社会」という訳語が造られ、定着した。
 しかしこのことは、「社会」―societyに対応するような現実が日本にも存在するようになった、ということではない。そしてこのような事情は、今日の私たちの「社会」とも無縁ではないのである。

 ③ 『オックスフォード英語辞典』によると、society の項は、
  (1)仲間の人々との結びつき、仲間どうしの集まり
  (2)同じ種類のものどうしの結びつき、あつまり、交際における生活状態、調和のとれた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いる生活の組織、やり方。
が、この(2)の意味については、広い範囲の人間関係という現実そのものがなかったしたがって、それを語ることばがなかったのである。当時、「国」とか「藩」などということばはあった。が、societyは、究極的には、この(2)でも述べられているように、個人individualを単位とする人間関係である。「国」や「藩」では、人々は身分として存在しているのであって、個人としてではない。

 ⑦ しかし、この「世間」を、societyの訳語として用いた例は意外に稀である。そして、「社会」という翻訳語がいったん定着すると、これと対比的に、「世間」は、翻訳的な文章からほとんどしりぞけられていく。このことから、逆に、私たちの翻訳語「社会」の持つ重要な特徴を、以上述べてきたようにとらえることができるのである。
 つまり、それは肯定的な価値をもっており、かつ意味内容は抽象的である、と。
・・・中略・・・

 ⑧ 意味内容が乏しいから乱用される翻訳語
  このことは、「社会」に限らない。それは一般に、私たちの翻訳語の特徴なのである。翻訳語は、先進文明を背景にもつ上等舶来のことばであり、同じような意味の日常語と対比して、より上等、より高級という漠然とした語感に支えられている。・・・・
 このころつくられた翻訳語には、こういうおもに漢字二字でできた新造語が多い。とりわけ、学問・思想の基本的な用語に多いのである。外来の新しい意味のことばに対して、こちらの側の伝来のことばをあてず、意味のずれを避けようとする意識があったのであろう。だが、このことから必然的に、意味の乏しいことばをつくり出してしまったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・