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  2. 【目次】江戸時代の資本論
  3. 荻原重秀と田沼意次の時代 (ek002-04)

荻原重秀と田沼意次の時代 (ek002-04)

     三上隆三「価値形態論」の形成前夜       

貨幣改鋳から見えてきた価値形態と「価値の形式


2022.07.20
価値の形式と形態                    ・・・・作業中です・・・2022.08.10・

 貨幣制度
   国家が一国内に流通する各種貨幣の発行・量目・品位などについて設ける制度

 *三貨制度

 *本位貨幣
     一国の貨幣制度の基礎となり、無制限法貨として通用する貨幣。
    価格の単位である金属(金本位制の場合は金)を素材とし、価値尺度として機能する。
           (精選版 日本国語大辞典「本位貨幣」の解説)
 *金本位制度
    一国の貨幣制度の中心をなす本位貨幣が一定量の金の価値と等価関係を維持するように組織された制度
 *秤量貨幣(しょうりょうかへい)
    銀塊、金塊を使用にあたりその都度量目・重量をはかりにかけて確認する貨幣。
 *計数貨幣  
    一定の形状・量目・品位(貨幣に含まれる金属成分など素材の割合)を持ち、
    貨幣表面にその価値を示す刻印・数字があり、貨幣価値が保証されている貨幣
 *名目貨幣
    貨幣の素材価値と無関係に、法令などにより表示された金額で通用する貨幣。
 *計算貨幣
    商品の交換価値を表わす価格(通貨)の尺度機能の貨幣。
    また、価値計算の機能する貨幣。
 *鋳造貨幣 (英語 coin ドイツ語 Münze)
    鋳貨とも。金が一般的貨幣商品として使われるようになると交換のたびに
    試金・秤量(ひょうりょう)が必要となる。その手数を省くため,国家がその貨幣商品が
    一定の品質と重量をもっていることを証明するために鋳造して作った貨幣を鋳造貨幣という。
            (百科事典マイペディア「鋳造貨幣」の解説)
 *計数銀貨
    秤量貨幣である銀通貨にたいして、明和南鐐二朱判(明和9年1772年)から鋳造された計数貨幣
    (名目貨幣)機能をもたせた銀通貨。金貨名称の二朱「判」を銀貨に付して流通を目論んだ。
 *量目
    はかりで量った物の目方/重さ。貨幣の量目
 *品位
    鉱石中の有用元素/金属/鉱物の含有率。貨幣の品位


荻原重秀と田沼意次の時代


    徳川幕府の
  貨幣改鋳と出目政策-
貨幣価値の変容

      ――
三上隆三「価値形態論」の形成前夜 ――

      金名称と金実体、名目含有量と実質含有量は、その分離過程を開始する。

  価値の「形式」と「形態化」(ek002-04-02)
  鋳貨 価値標章(ek002-04-03)


 
 序 論  ★論点0 徳川幕府・江戸時代の制度的枠組みの進展

 第1部   ★論点1 高木久史『通貨の日本史』中央公論新社2016年発行

      
荻原重秀と元禄大改鋳  
           
金貨・銀貨の名目貨幣化・単なる通貨単位に貶質
           不完全貨幣の流通と徳川幕府貨幣改鋳の元祖


      
目 次 
       1. 1695年 元禄大改鋳 綱吉ー柳沢ー荻原 
       2. 金貨・銀貨の名目貨幣化 
       3. 規格改定目的ー金貨・銀貨の品質低下ー発行高増加 
       4. 荻原重秀ー幕府財政の収入増と通貨統合 
       5. 幕府による金貨・銀貨相場の誘導策 
       6. 宝永金銀を元禄金銀と等価で強制通用 
       7. 金貨・銀貨の品質悪化ー幕府の管理貿易 



 
第2部  ★論点2 三上隆三『円の社会史』  中央公論社1989年発行

      
田沼意次と徳川貨幣・財政制度の変革
         
三貨制度の改変
           
南鐐二朱判(銀)ー銀貨を金貨の補助貨幣化
           
金貨単位系列の計数銀貨の成立ー金本位制へ
 
     目 次
      1. 江戸前期の三貨制度 
      2. 制度の質的変化ー銀貨を金貨の補助貨幣に 
      3. 三上「価値形態論」の形成前夜  三貨制度の改変
      4. 二朱判(銀貨)ー金貨専用称号の流用と金貨単位の計数銀貨 
      5. 南鐐銀貨ー幕府の出目益金と計数銀貨の近代性 
      6. 計数銀貨による名目貨幣化ー貨幣制度の統一へ 


 第3部  ★論点3
    
貨幣改鋳から見えてきた
     
価値形態と「価値の形式
             ―― 三上隆三「価値形態論」の形成前夜 ――

    資本論ワールド 編集部
   序論
      貨幣改鋳と価値形式Wertform の変容  

   第1章 徳川幕府の貨幣政策と『資本論』の価値形態(価値の形式)
         1-1 『資本論』の価値規定と三上「価値形態論」の状況設定 
         1-2 名目貨幣と計数貨幣の価値形態
 
           1-3 銀貨の計数貨幣改変にともなう「価値の形式」変化
   第2章 三上隆三「計数銀貨改変」による価値の形式」変容
   第3章 貨幣改鋳と価値形式Wertform の変容


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ◆参考資料
価値の「形式」と「形態化」(ek002-04-02)

  貨幣改鋳と価値形式Wertform の変容  2022.08.10作業中

 Ⅰ ヘーゲルにおける「形態化」と「過程」
     /エンチクロペディ自然哲学 第3部 有機的な自然学
 Ⅱ 江戸時代の資本論-銀貨幣と金貨幣の一元化
     /銀貨幣の名目貨幣化と金貨幣序列化
 Ⅲ 価値形態 Wertform と形式 Form の二重性(1)~(3)
   1. 価値形態と形式の二重性(1)
   2. 価値形態と形式の二重性(2)
   3. 価値形態と形式の二重性(3)
   4. 価値形態と形式の二重性(4)
 Ⅳ 価値表現の形式 ー 価値方程式
     『資本論』の価値表現と方程式
 Ⅴ 鋳貨/価値標章(ek002-04-03)ー新しいウィンドウで開く



    ..........................................

 徳川幕府の貨幣改鋳と出目政策
 
―― 三上隆三「価値形態論」の形成前夜 ――
 
   序 論  ★論点0

 ★論点0
  幕府と巨大商人・商業資本の闘いー吉宗政権/江戸町奉行の断面
   大石慎三郎大岡越前守忠相1974年 岩波書店発行
       歴史科学と経済分析の構図ー江戸期の財政・貨幣問題

 旺文社世界史事典 三訂版「商業資本」の解説
 商業資本 commercial capital
  商品の流通によって利潤をあげる資本
 近代以前の商業資本と近代のそれとは性格を異にする。前者は不等価交換が原則で,
 商業および高利貸資本の形で存在し,封建的勢力と結びついていたが,産業革命をへて
 産業資本に圧倒された。近代の資本蓄積の前提となった点に史的意義がある。


   資本論ワールド編集部 はじめに

  徳川幕府・江戸時代の制度的枠組みの進展とキーワード
 1. 江戸時代 前期 徳川家康~元禄時代  1600—1700
      ・江戸幕府の枠組み(貨幣経済の要因) ・三貨制度 ・管理貿易体制
 2. 江戸時代 中期 荻原重秀~徳川吉宗の時代 1700—1750
      ・江戸町奉行 大岡忠相(1677-1751)の時代ー
      ・徳川幕府の財政難 ・貨幣改鋳と出目政策 ・銀から銅貿易へ
 3. 江戸時代 中後期 田沼意次~幕末前  1750—1850
      ・貨幣制度の進展ー計数銀貨  ・江戸期の重商主義と市場構造
      ・江戸期の商業資本(三井高利, 鴻池善右衛門, 住友鉱山, 大坂堂島米市場)

 4. 江戸時代の厳しい身分制社会にあって、荻原重秀(1658-1713)と田沼意次(1719-1788)の時代は
   どうだったのだろう。荻原も田沼も出身階層から言えば、下級武士の出身だった。
 5. また、城下町の都市化と参勤交代による商品生産・貨幣経済の進展は、江戸時代の「米遣い社会」に
   どのようなインパクトを与えたのだろうか 
 6. 江戸時代の制度的枠組みの検討にあたり、はじめに貨幣経済の原点から研究してみます。
   総論的に大石慎三郎『大岡越前守忠相』の「巨大商人との闘い」を参照してください。
   また、マルクスの「貨幣論」を参照しながら、荻原重秀や田沼意次の時代相ー幕府経済システムと
   比較検討してみます。
    「貨幣改鋳問題」に潜んでいる「商品(貨幣)価値」や「価値形式、価値の形態(化)、
   貨幣の象徴」などの考察に順次進んでいく予定です。


   まずは じっくりと大石慎三郎とマルクスとの対話から始めましょう。
 7. 『資本論』第2章 交換過程
     1)交換過程論  ①「価値形態」の形成  ②交換過程の “転化” 
     2)『資本論』 ①一般的等価形態と貨幣形態の発生   ②等価形態の分析
 8. 『資本論』第3章貨幣または商品流通
     1)

     2)『資本論』  ①第1節 価値の尺度   ②第2節 流通手段 c 鋳貨 価値標章
 9. 最後に
      三上隆三「価値形態論」の形成 ―― 徳川幕府「金貨単位系列の計数銀貨の成立」
    三上は、荻原重秀の元禄大改鋳に始まり、田沼意次による秤量貨幣の銀貨を計数貨幣化し、
   「名目貨幣化」の形式へと分析してきました。
   ここでは、「商品価値と貨幣形式」の歴史的変化ー形態変化を注意深く観察してゆきます。
    徳川幕府は、新銀貨の公式名を明和南鐐二朱判と命名します。「銀貨ではあるが、これに計数貨幣の
   先輩である金貨の単位をもたせ、これを金貨そのものとして行使せよと命じる」にいたります。
   『資本論』の価値形態(価値の形式)は、三上によって「江戸時代の資本論」へと昇華されてゆきます。


  →第1部   荻原重秀と元禄大改鋳
  →第2部  田沼意次と徳川貨幣・財政制度の変革-三貨制度の改変

   参照質料1. 大石慎三郎『大岡越前守忠相』
 
 参照質料2. 『資本論』第3章貨幣または商品流通
             
第2節 流通手段  c 鋳貨 価値標章

参照質料2.

    『資本論』 第1章   第2章  →第1版-第2版対比研究

江戸期価値形態論  
c 鋳貨
『資本論』第3章貨幣または商品流通

 
第2節 流通手段  c 鋳貨 価値標章 Die Münze. Das Wertzeichen

   貨幣存在の”象徴”性   鋳貨 価値標章 (三上「価値形態論」)

 目次             (岩波文庫p.218)
 1. 鋳貨態様            t1.『資本論』鋳貨態容〕>t1> 
 2. 金貨の形態転化ー不等の価値存在
 3. 貨幣流通による鋳貨機能の改変〔不完全貨幣〕
 4. 金の鋳貨実在は、全くその価値実体から分離する
                t2.鋳貨実在は価値実体から分離〕>t2>
 5. 貨幣=価値表現の運動機能性
                〔 t3. 金貨単位系列の計数銀貨の成立 〕 >t3> 
 ..................................................................................


〔1.鋳貨態様( Münzgestalt :鋳貨の形態, 姿, 形状
                   t1.『資本論』鋳貨態容>t1>

 貨幣の流通手段としての機能から、その鋳貨態容〔gestalt:姿, 姿態〕が生まれる。商品の価格または貨幣名に観念化されている重量部分である金は、流通において、同名目の金片、あるいは鋳貨として商品に相対しなければならぬ。

〔2. 金貨の形態転化ー不等の価値存在〕

 こうして、金貨と金地金は、本来はただその姿によって区別されるだけである。そして金は、絶えず一つの形態から他の形態に転化しうる。しかしながら、造幣局からの道は、同時に溶解鍋への道である。すなわち、通用しているうちに金貨は磨滅する。あるものは多く、あるものは少なく。金名称と金実体、名目含有量と実質含有量は、その分離過程を開始する。同一名目の金貨は、不等の価値のものとなる。というのはちがった重量のものとなるからである。金は流通手段としては、価格の尺度標準としての金から、偏差をもつようになる。そしてこのために、その価格を実現する商品の実際の等価ではなくなる。(中略)この程度如何によって、金片が流通不能なものとされたり、貨幣の性質を剝奪されたりする。

〔3. 貨幣流通による鋳貨機能の改変  ー不完全貨幣〕

 貨幣流通自身が、鋳貨の名目含有量から実質含有量を分かち、その金属存在を、その機能的存在から分かつとすれば、貨幣流通は、金属貨幣がその鋳貨機能において、他の材料から成る徴標、あるいは象徴によって置き換えられる可能性を、潜在的に含んでいる。


                    t2.鋳貨実在は価値実体から分離〕>t2>

  〔4. 金の鋳貨実在は、全くその価値実体から分離する〕

 銀徴標または銅徴標の金属含有量は、随意に法律によって定められる。通用している間に、それらのものは金貨よりもっと急速に磨滅する。したがって、その鋳貨機能は事実上は全く、その重量から、すなわち、すべての価値から独立したものとなる。金の鋳貨実在は、全くその価値実体から分離される。こうして、相対的に価値のない物、紙券が、金のかわりに鋳貨として、機能しうるのである。金属的な貨幣徴標では、純粋に象徴的な性格がなお多少とも、かくされている。紙幣では、それはあらわに出てくる。だから、難しいのは、第一歩をふみ出すことだけであることがわかる。(岩波文庫p.218)


                 
 〔 t3. 金貨単位系列の計数銀貨の成立 〕 >t3>
〔5. 貨幣=価値表現の運動機能性

     ー自分自身の標章として機能的な存在様式を得る


 最後に、なぜに金は、単なる無価値の自分自身の標章によって、置き換えることができるか?という問題がある。しかしながら、われわれが見たように、金を置き換えることができるのは、金の機能が、鋳貨として、または流通手段として、孤立化され、または独立化されるばあいに限ることなのである。そこで、この機能の独立化は磨滅した金片が継続的に流通しているということの中に現われてはいるが、個々の金貨にたいして行なわれるのではない。金片が単に鋳貨であり、あるいは流通手段であるのは、まさにそれが現実に流通の中にあるばあいに限られている。しかし、個々の金貨にたいして行なわれえないことが、紙幣によって置き換えられうる最低量の金にたいしては行なわれる。この最低量は、絶えず流通部面にとどまって動かず、継続的に流通手段として機能し、またしたがって、もっぱらこの機能の担い手として存する。かくて、その運動は、ただ商品変態の相対立した過程W-G-Wの継続的な交代を表わすだけであって、この過程で商品にたいして、その価値態容Wertgestaltは相対したかと思うと、ただちにまた消失するのである。商品の交換価値を独立的に表示するということは、ここではただ瞬過的な事柄である。それはただちに再び他の商品によって置き換えられる。したがって、貨幣が単に象徴的に存在するということも、貨幣がたえず一方の手から他の手に離れ去ってゆく一過程においては、充分なのである。

 貨幣の機能的な存在が、いわばその物質的な存在を吸収する。商品価格の瞬過的に客観化された反射であるから、貨幣はなおただ自分自身の標章として機能し、したがって標章によっても置き換えられうる。ただ貨幣の標章は、それ自身、客観的に社会的に通用しうるということが必要となる。そして、紙券象徴は、これを強制流通力によって得るのである。この国家強制が行なわれるのは、公共体の境界線の示す流通部面、または国内の流通部面内だけのことであって、また貨幣が、流通手段としてまたは鋳貨としてのその機能に、全く解消することができるのも、この限られた流通部面だけのことである。したがって、ここでだけは、紙幣となって、その金属実体から外的に分離された、そして、単に機能的な存在様式を、得ることができるのである。(岩波文庫p.225)


   関連質料
 資本論ワールドでは、『資本論』の商品価値(貨幣の価値と形態)と価値の形態(化)について、詳細な分析を行なっています。用語解説(研究質料/yk004-07を参照してください。

 徳川幕府の貨幣改鋳と出目政策
 
―― 三上隆三「価値形態論」の形成 ――
 第1部 荻原重秀と元禄大改鋳


★論点0
 高木久史『通貨の日本史中央公論新社2016年発行


    第1部 荻原重秀と元禄大改鋳

     綱吉期の金貨・銀貨改定   5代将軍 綱吉1680-1709
     歴史科学と経済分析の構図ー江戸期の財政・貨幣問題


  目 次 
 1. 1695年 元禄大改鋳 綱吉ー柳沢ー荻原 
 2. 金貨・銀貨の名目貨幣化 
 3. 規格改定目的ー金貨・銀貨の品質低下ー発行高増加 
 4. 荻原重秀ー幕府財政の収入増と通貨統合 
 5. 幕府による金貨・銀貨相場の誘導策 
 6. 宝永金銀を元禄金銀と等価で強制通用 
 7. 金貨・銀貨の品質悪化ー幕府の管理貿易 
  .............................................


  〔 1. 1695年 元禄大改鋳 綱吉―柳沢吉保―荻原重秀〕

 1680年、家綱が没し、その弟で、生類憐れみの令で知られる綱吉が5代将軍になる。綱吉政権は家綱政権と同じく、全国経済に関する支配を強めた。その一つが通貨政策である。綱吉が没する1709年まで含めて、18世紀に踏み込んでここで述べる。


  ★論点0                 t1.『資本論』鋳貨態容〕<t1<
  〔 2. 金貨・銀貨の名目貨幣化
      慶長金一両=元禄金一両、慶長金銀と元禄金銀を等価で通用〕


 まず注目すべきが、金貨・銀貨の規格を改めたことである。1695年(元禄8年)、幕府は元禄金銀の発行を布告した。元禄金(小判・一分金)の質量は慶長金と同じだが、金含有率を下げた。元禄銀も銀含有率を下げた。含有率を下げたにもかかわらず、慶長金一両=元禄金一両のように、慶長金銀と元禄金銀とを等価で通用させた。言い換えれば、素材価値に関係なく、指定した額面で通用させた。金貨・銀貨の名目貨幣化である。


  3. 規格改定目的ー金貨・銀貨の品質低下ー発行高増加

 規格改定の目的は大きく二つある。一つめが、金貨・銀貨の品質を下げることによる、発行高の増加である。改定の結果、金貨・銀貨は合計で約85%増えた。金・銀の生産が減り、国外へ流出した一方で、通貨需要が増えていたことが背景にある。なお同様の案はすでに家綱政権期にあったが、そのときは採用されなかった。



                   t2.鋳貨実在は価値実体から分離>t2>

 〔 4.
荻原重秀 ―― 幕府財政の収入増と通貨統合 
    
   慶長銀と元禄銀の交換は、両者を同一素材の質的共通性/価値を把握すること 〕

 二つめが、財政収入である。例えば慶長銀10貫は元禄銀10貫100匁に交換された。1%のおまけ(交換増歩)をつけることで人々に元禄銀への交換を促したわけである。慶長銀10貫の銀純量が約8貫、元禄銀10貫100目の銀純量が約6.5貫なので、差し引き銀約1.5貫が、ほぼ幕府の利益(発行益〔:出目)になる。発行益を求めた背景には、金・銀生産の減少に伴う鉱山関係の歳入の減少と財政赤字化があった。
 規格改定を立案したのは当時勘定吟味役(勘定奉行に次ぐ役職)だったエース財務官僚、荻原重秀である。重秀は、「金貨・銀貨が不足している中で供給を増やせば人々は心が休まるだろう」と、政策の趣旨を語っている。

 1696年には元禄金銀の素材にするためとして、慶長金銀・灰吹銀(領国貨幣)の回収と通用停止を布告した。以前から進んでいた幕府による金・銀地金の独占の強化と本法により、領国貨幣の排除と幕府金貨・銀貨による通貨統合が、建前上完成した。
 回収した旧金貨・銀貨は元禄金銀の素材にあてた。金・銀の生産が減り、かつ国外への流出が続いていたので、元禄金銀の素材は回収した旧金貨・銀貨に多くを依存した。
ただし現実には旧金貨・銀貨の回収と通用停止は難航した。慶長金銀は元禄金銀より良質だったので、人々がしまいこんだからである。また、新旧の金貨・銀貨の交換は幕府が指定する江戸の両替商や金座・銀座が行った。江戸や、江戸と経済交流が頻繁にある地域はともかく、それ以外の地方では切り替えは遅れた。例えば秋田藩の場合、銀貨は銀座の職員が江戸から出張して交換したが、金貨を交換するには江戸まで持って行かなければならなかった。

 結果として、新旧の金貨・銀貨が異なる市価で流通し続けた。また、より少ない金で金貨をつくることができるようになったため、偽造が多発した。新貨の素材を調達するための旧貨の回収が、これ以後の規格改定でも重要な政策課題になる。
 旧貨からの金・銀純量の減少率が元禄銀より元禄金の方が大きかったため、元禄金は敬遠され、銀貨が求められ、銀貨が不足した。規格改定前の市価は法定比価(金貨一両=銀貨50匁)より金貨高・銀貨安だったが、改定後は法定比価より金貨安・銀貨高になった。



 〔 5. 幕府による金貨・銀貨相場の誘導策ー金貨安・銀貨高は、江戸経済圏に不利 〕

 金貨安・銀貨高は、金遣いである江戸が、銀貨建てで価格を示す上方から商品を移入する場合に不利になる。
 〔2022年、ドル高・円安で国内輸入品の物価高騰のように、江戸町民に必須の銀貨建て商品(上方・下り物商品)の価格高騰。〕

 そこで幕府は1700年、法定比価を金貨一両=銀貨60匁=銭4貫文と、銀貨安に改めた。
 その後、銀貨不足を和らげ、銀貨安へ導くため、銀貨の規格をさらに改めた。1706年(宝永三年)発行の宝永銀(ニッ宝銀)である。銀含有率を元禄銀より下げたが、元禄銀と等価で通用させた。これは発行益を得る目的もあるが、幕府が望む金貨・銀貨相場へ導くために通貨規格を改める政策の始まりでもあった。
 しかし銀貨高は収まらなかった。銀遣い圏の上方で経済が成長して商品取引量が増えており、銀貨供給量の増加を相殺したためである。さらなる対策が重秀に求められた。


  〔 6. 宝永金銀を元禄金銀と等価で強制通用ー名目貨幣化・単なる通貨単位に貶質 〕

 ★論点0
 1709年に綱吉が没し、その甥である家宣が6代将軍になる。これに際し、前代に続き勘定奉行だった荻原重秀が上申して、通貨規格を改めた。
 1710年(宝永七年)、宝永金(小判・一分金)の発行を布告した。元禄金より品質を悪くしたが、それでも宝永金は元禄金と等価とされた。宝永小判の質量は約9.4グラムである。質量単位としての一両(約16グラム)に足りない。それでも一枚で額面「一両」とされた。こうして、額面を指す「両」という単位が、金貨現物の質量に関係ない、単なる通貨単位になった

 銀貨については、宝永金の発行と同じ1710年の永字銀(えいじぎん)、同年の三ツ宝銀(みつほうぎん)、翌11年の四ツ宝銀(よつほうぎん)と、足かけ2年のうちに3回、銀含有率を下げる方向で規格を改めた。いずれも銀より銅の含有率が高く、金貨と同じく名目貨幣化がさらに進心だ。
 銅が多いと赤い色味か強くなる。銀色に見せるため、表面の銅を飛ばす加工をわざわざ行っている。これら銀貨の規格改定は重秀が独断で行い、改定を布告していない。そのため旧金貨・銀貨の通用は停止されず、新旧の金貨・銀貨がこの後もともに流通した。

 規格改定の目的は、短期的には、新将軍の居所を改造するための財源として発行益を得ることにあった。長期的には、銀貨の供給量を増やして銀貨安に導き、〔江戸経済圏の〕物価を下げるためー
〔上方・関西圏からの仕入れ商品の価格を下げるため、法定比価より金貨高・銀貨安(金遣いの江戸経済圏の購買力が上昇する〕 だった。

 綱吉時代の政策と同じ趣旨である。実際、銀貨安になった。その一方、小玉銀の供給が滞って小額通貨全般が不足し、同じ小額通貨である銭への需要が増えた結果、銭高になった。これは庶民を苦しめた。



  〔 7. 金貨・銀貨の品質悪化 ー→ 外国貿易・幕府の管理貿易への影響 〕

 金貨・銀貨の品質悪化は、通貨の輸出に影響した。金貨については、そもそも元禄金への改定で金の純量が減った段階で、オランダにとって金貨貿易の利益が減った(第2章)。幕府は元禄金よりさらに金の純量か少ない宝永金を元禄金と同価でオランダへ受け取らせた。オランダはやはり損をする。結果、日本からの金の輸出量は減っていく。

 銀貨も品質が下がったため、朝鮮や中国は受け取りを嫌った。朝鮮貿易の実務にあたった対馬藩の願いにより、幕府は1710年に朝鮮向け輸出専用の丁銀である、人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)を発行した。薬用人参の輸入のためという建前ゆえの名である。銀含有率は慶長銀の規格に戻した。また琉球を通じて中国貿易を行っていた薩摩藩の願いにより、幕府は1713年に琉球・中国向け輸出専用の丁銀である、琉球渡唐銀(ととうぎん)を発行した。銀含有率は元禄銀の規格に戻した。結果、国内通用の銀貨と貿易支払い用の銀貨とが分離した。

 ここまで述べたように、重秀は通貨の品質低下・名目貨幣化路線を進めた。しかし儒学者で家宣の政治顧問だった新井白石は、重秀の策を良しとせず、何度も罷免を求めた。1712年、重秀は勘定奉行を罷免された。重秀は悪役として語られることか多いが、これは白石が書き残した中傷による、一方的なイメージである。

 〔一連の元禄大改鋳によって、慶長小判と元禄小判の量目(重量)は同じ4.76匁だが、品位(金の含有率)は慶長金の863から元禄金の564に低下。純分量がおよそ1/3削減された。慶長小判2枚から元禄小判3枚が鋳造可能となり、その差の1両が出目として幕府の収入となる。この時の金銀貨の出目は、470万両とも580万両相当といわれている。大石慎三郎によれば5年半分の年貢量を稼いだと、徳川吉宗とその時代で積算している。〕



  → 第2部 田沼意次と徳川貨幣・財政制度の変革
第1部 荻原重秀と元禄大改鋳
 徳川秘話-三貨トピック 三上隆三『円の社会史』貨幣が語る近代 中央公論社 1989年発行
      第2章 円前史
三上隆三『円の社会史』

   第2部  田沼意次と徳川貨幣・財政制度の変革

            三貨制度と補助貨幣と出目

三上隆三『円の社会史』第2章 円前史
歴史科学と経済分析の構図ー江戸期の財政・貨幣問題


  目 次
 1. 江戸前期の三貨制度 
 2. 制度の質的変化ー銀貨を金貨の補助貨幣に 
 3. 三上「価値形態論」の形成 
 4. 二朱判(銀貨)ー金貨専用称号の流用と金貨単位の計数銀貨 
 5. 南鐐銀貨ー幕府の出目益金と計数銀貨の近代性 
 6. 計数銀貨による名目貨幣化ー貨幣制度の統一へ 
  ......................................................


  〔 1. 江戸前期の 三貨制度 - 金・計数貨幣 - 銀・秤量貨幣 〕

 徳川家康が慶長6(1601)年に確立し江戸全期にわたり維持された貨幣制度は、金銀銅貨によって形成されるところから、三貨制度とよばれている。金貨は両 分 朱 という四進法の計算体系にしたがう小判・一分判等のコインであって、授受に際しては、その枚数をかぞえることで決済手続きがおわる計数貨幣であった。一個当りの金の質量については幕府を信用するということである。
 銀貨は丁銀・豆板銀とよばれる銀塊状のもので、取引にあたっては当事者によってその重量を計測・確認しなければならないもの、したがって一般商品同様の計量単位の 貫・匁 によって確認される秤量貨幣であった。
 銅貨=銭貨は文を単位とする計数貨幣であった。これら金銀銅の三貨はそれぞれ本位貨幣と規定され、したがって世上これを三貨制度とよぶわけである。が、実際には大きく質的変化が進行していくのである。


 〔 2. 制度の質的変化ー銀貨を金貨の補助貨幣に ー 実質的金本位制

 物体にはつねに影がそうように、金銀併立には金銀比価という厄介な問題がつきまとう。さらに経済の発展にともなう商業の普及にとって、性格・計算体系のまったく違う金銀貨の存在は好ましいものとはいえない。それ以上に、慢性的赤字に悩む幕府財政の建直しのエースとして、両 分 朱 という金貨の単位名をもつ計数銀貨の新発行によって、銀貨を金貨の補助貨幣に位置づける実質的金本位制度が強引に設立されることになる。補助貨幣はその素材価値に拘束されないものであるから、素材の節約〔銀貨の節約〕分を財政赤字解消に投入しようというわけである。明和9(1772)年のことであって、その具体物は明和南鐐二朱判(銀貨)である。


  3. 三上「価値形態論」の形成 ――『資本論』鋳貨 価値標章 参照

      南鐐二朱判(銀貨) ―― 実体価値と名目価値 

 明和9年(1772)に確立されたこの実質的金本位制度は、万有引力の法則で有名なニュートンのすすめる金に有利、銀に不利な比価の採用によって、1717年に実現したイギリスの実質的金本位制度につぐ世界第二番目のものである。
 のみならず、実体価値を名目価値よりも低くすることに特徴をもつ補助貨幣の意識的計画的鋳造においては、この南鐐二朱判が世界最初であって、これにつぐものは、不本意にも既成事実をうけいれて、1744年に削盗り銀貨を補助貨幣として認めたイギリスであるという両者の関係が逆転する驚くべき事実をここで指摘しておきたい。さらにいえば江戸幕府同様にイギリス政府自身が積極的意識的計画的に、ということは、実体価値を名目価値以下にする補助貨幣としての銀貨を正式に鋳造したのは1816年の条例、すなわち金本位制度確立のための貨幣法制定にはじまることをつけ加えてもよいであろう。
 (『円の社会史』中央公論社 1989年発行,p.32)

三上隆三『円の社会史』第2章 円前史
三貨制度と補助貨幣

       出目 ー 補助貨幣の計数銀貨発行

               〔 t3. 金貨単位系列の計数銀貨の成立>t3>

  〔 4. 二朱判     江戸期の「象徴貨幣」・・・『資本論』c 鋳貨 価値標章 
           ―― 金貨専用称号の流用と 金貨単位の新計数銀貨
   
 このようなわけで明和9年以降、日本に金本位制度が出現することになるのであるが、これに実質的という形容詞をつけねばならないのは、銀貨の名目価値と実体価値との差の銀を出目として入手し、これを財政再建の拠処としなければならない背水の陣をしく幕府にとっては、銀貨の補助貨幣化は極秘事項としてかくす必要があったからである。したがってこの新事態を公表しないのはもちろんのこと、絶対発行量は漸減するとはいえ、当初からの丁銀を依然として鋳造しつづけ、以前と全く同じ三貨制度の健在を示すことによって無言で、銀貨世界に何もなかったかのような装いをしたのである。

 無言の裏側の有一日では、新しい計数銀貨について、丁銀に不可分の秤量という手間を省くという暖かい思いやりにもとづくもので、銀貨ではあるが、これに計数貨幣の先輩である金貨の単位をもたせ、これを金貨そのものとして行使せよと命じる。新銀貨の公式名は、先述した明和南鐐二朱判である。南鐐は銀の別称で問題はないが、は英貨のポンド専用のスターリング同様に、小判・一分判にみられる金貨専用の称号のようなものである。金貨であることを示すこのを、銀貨にあえて付けたのは、この二朱銀貨を二朱金貨そのものとして使用せよとの幕府の強い意志のあらわれである。


  〔 5.  南鐐銀貨 ー 幕府の出目益金と計数銀貨の近代性 ー 全国規模で普及

 幕府の意志はどうであれ、庶民、とくに上方の商人は全面的にこの使用を拒否した。というのは銀は商人のカネという意識が絶対化されるほど上方における銀の使用は古く、丁銀の使用は戦国時代に普及をみている。家康確立の三貨制度における丁銀は、その単なる踏襲にすぎない。経済人としての商人は形式・名目より、実体・実質・実利を尚ぶことを身上とするから、貫匁での銀の測量値を当事者間で確認する。したがって商人は明和南鐐の銀量が金貨二朱相当にははるかに及ばないことも知悉しており、当然に形式・名目第一主義の南鐐銀貨には、強烈な拒絶反応を展開した。わずかとはいえ丁銀をも続鋳するという幕府の行動も、この反撥を強くした。


  〔6. 計数銀貨による名目貨幣化 ―― 貨幣制度の統一へ 〕

 幕府はといえば、補助貨幣としての計数銀貨発行にもとづく出目益金によりかかる財政事情にあっては、商人の反対にもかかわらずこの発行停止は不可能である。その絶対権力にもかかわらず、幕府は30年もの辛抱づよいアメとムチの両政策を駆使して、ついに意志の貫徹に成功した。
 商人もその合理的精神によって無用の犠牲をさけ、秤量銀貨に比しての計数銀貨の近代性を評価するようになる。かくて幕末まで続鋳されたとはいえ絶対鋳造量が減少する一方の丁銀に対し、幕末まで計数銀貨も続鋳されるだけではなく、その絶対量は増大一方だった。換言すれば、時の経過とともに計数銀貨は全国的規模で普及したということである。(『円の社会史』中央公論社1989年発行.p30)

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 徳川幕府の貨幣改鋳と出目政策三上隆三「価値形態論」の形成
  序 論  徳川幕府・江戸時代の制度的枠組みの進展
  
第1部  荻原重秀と元禄大改鋳
  第2部  田沼意次と徳川貨幣・財政制度の変革-三貨制度の改変
  第3部  江戸時代の資本論 ー三上隆三「価値形態論」の形成



  第3部
 江戸時代の資本論 ・・・・作業中 2022.07.25・・・・
          ―― 三上隆三「価値形態論」の形成 ――

    資本論ワールド 編集部
        徳川幕府の貨幣改鋳と出目政策 
    1. 徳川幕府の貨幣政策と『資本論』の価値形態
    2. 三上隆三「価値形態論」の形成
    3. 『資本論』と三上「価値形態論」

 参照資料
 1. 『資本論』とヘーゲル論理学 yk004-07
 2. 

 参照質料2.

 (1)『資本論』 第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値  (要約)
    第1章 第3節 価値形態または交換価値
    A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態  等価形態 

 (2)『資本論』第2章 交換過程 
           ・一般的等価形態と貨幣形態の発生   等価形態の分析
 (3) 『資本論』第3章貨幣または商品流通
           ・第1節 価値の尺度   ・第2節 流通手段 c 鋳貨 価値標章

 → 第1部  荻原重秀と元禄大改鋳
 →第2部  田沼意次と徳川貨幣・財政制度の変革
 → 第3部 江戸時代の資本論 ー三上隆三「価値形態論」の形成